MV AGUSTA ITALIA WEEK
LOOKBOOK
イタリアと言えばなに!?
![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() |
---|---|---|---|---|---|---|
![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() |
F3AGOモデルのジャコモ・アゴスチーニが語る
「最強ライバル、マイク・ヘイルウッドが招待してくれたマン島でのディナー」
史上最も偉大なバイクレーサーは誰だろうか? ジャコモ・アゴスチーニ、ヴァレンティーノ・ロッシ、マイク・ヘイルウッド、アンヘル・ニエト、ホルヘ・ロレンゾ、ミック・ドゥーハン?
それぞれの時代にヒーローがいた。ただ、誰もがジャコモ・アゴスチーニの活躍に関しては広く認めるところだろう。15回のワールドタイトル、122勝を誇り、1960年台の後半から1970年台前半の活躍から歴代最高のライダーと誰もが認めるライダー、ジャコモ・アゴスチーニが当時を語る。
「丁度今から50年前にニュルブルクリンクで初勝利を遂げた。その当時のレーストラックはかつては非常に危険な場所だった。でもそういう条件のもとでレースをするか、その場を去るかしかない。革ツナギ、ヘルメット、トラック自体全てが違っていた。現在のツナギのエアバッグなんてものはなかったから、転倒自体出来なかった。自分はレース前に皆の前からよく姿を消していたんだ。皆は集中の為と思っていたようだったけど、確かにそれもあるんだけど死ぬのが怖かった。昔の事を覚えている人はショーのハイライト、観客が求めているものは血だったと言うけど、それは正しくない。観客が求めていたのは限界レベルでのライディング。息を飲むようなオーバーテイク、激しいバトル、もしかしたら転倒も含まれていたかもしれない。実際、悲劇が多くてね。その次のレースなどは観客が減ってしまうこともあった。ただ、暫くすると皆は悲劇を忘れてトラックに帰ってきてくれた。
私は1960年台の後半から1970年台前半、15回のワールドタイトル、122勝を獲得することができた。
最も手強かったライバルはマイク・ヘイルウッド。彼は素晴らしい才能の持ち主だ。 彼は125、250、500ccクラスでレースを行い常に勝利していた。1番の思い出の1つは、彼とマン島で1967年にレースをしたこと。自分がレースをリードしていだが、最終ラップでチェーンが切れてマイクが勝利したんだ。でもその晩のディナーにマイクが招待してくれた。彼はその日は私が勝利していたという事を分かっていたんだ。マイク・ヘイルウッドにマン島で勝利できるなんてまたとない経験だから、素晴らしい日になった。」
残念ながらマイク・ヘイルウッドは自動車事故で40歳という若さで世を去った。往年のライバル、ジャコモ・アゴスチーニをオマージュとしたMVアグスタ F3 800 AGOモデルにまたがると、マイク・ヘイルウッドとの息を飲むようなオーバーテイク、激しいバトルの鼓動が、今も伝わってきます。